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ある晴れた日に、蓮ぞうを洗うことについて

※ どっからもつっこみがなかったですが、この文章は某作品のパロディです。

ある晴れた午後、裏通りの洗車場に、僕は蓮ぞうを連れて行く。
たいして綺麗な車ではない。いや綺麗じゃなくなったから洗車場に連れて行くわけだが、だいたい僕は普段から、あまり蓮ぞうを洗わない。 ガソリンスタンドの自動洗車機を使えば楽なんだろうが、どうも僕はああいったものに、今一つ信頼がおけないでいる。鋼鉄製のファミぞうでさえ、洗車機に入れると傷がつきそうなのに、30年物のFRPでできた蓮ぞうなんかを入れた日には、ホールデン・コールフィールドが公園で落っことしたレコードのようにばらばらに割れてしまいそうだ。
じゃあ手洗いで、ということになるが、まず洗うのは、普段乗る機会の多いファミぞうの方であり、ファミぞうをごしごし洗ってワックスまでかけると、終わる頃にはすっかり疲れていて、蓮ぞうの方はまあいいや今度で、ということになってしまう。
そんなわけで、蓮ぞうはこの何週間か、ずっと白っぽくほこりをかぶったままでいた。

「蓮ぞうを洗わなきゃ」と、唐突に彼女は言った。
「また今度でいいじゃないか」と僕は言った。「来週だってきっと晴れるよ。だいたいそんなに洗うもんじゃないし。FRPは傷みやすいんだから」
「だってずっと洗ってないじゃない。あれじゃ汚れがたまって、かえって傷みやすくなるわよ」
「この間ファミぞうを洗ったばっかりじゃないか」
「ファミぞうを洗ったから、蓮ぞうも洗ってやらなきゃ」
僕は黙って、読みかけの新聞をたたんだ。この手の議論で、彼女に勝ったためしがない。
彼女は僕の返事を待たずに、さっさと立ち上がって、どこかに干してあった洗車用バケツを取り出してきた。そして、実った夏みかんを摘み取るような感じで、シャンプーやスポンジや何やかやをバケツに詰める。
僕は諦めてジーンズに着替え、中世ヨーロッパの地下牢の番人が持っているような、じゃらじゃらとした鍵の束を取り出す。地下牢ならぬ地下の駐車場から蓮ぞうを連れ出すには、びっくりするぐらいたくさんの鍵を開けなければならないのだ。

europa front 洗車場は、車で20分ぐらい行ったところにある。
平地のコーナーに車を停めて、後は自分で洗う。水道使い放題。 僕たちは自分で用意していったが、ブラシやタオル、シャンプーぐらいは 貸してくれる。時間無制限。それで1回1,000円。 高いんだか安いんだかよくわからない。
しかし、洗車場に着いて、ちょっと困ったことが起こった。 左の窓が閉まらなくなったのだ。
パワーウィンドウのボタンを押しても、蓮ぞうはなんの反応もしないし、手でひっぱっても、ガラスはびくともしない。
「また壊れたのかしら」と彼女は言う。「修理に連れて行く必要がある?」
まさか、と僕は思う。僕だってこの車と伊達に何年もつきあってるわけじゃない。こういう時は大抵、しばらく放っておけば直る、ということぐらい知っている。
しかし、洗車場に着いてからこのまま放っておくわけにもいかないので、僕たちは左側に水をかけないように気をつけながら、そろそろと洗車を始めた。
「まるで猫みたいね」と彼女が言った。「洗おうとすると機嫌が悪くなる」
「そうだね」と僕は答えた。

昼下がりの洗車場は、素敵な感じだった。
輸入車屋の展示場の一角を転用した洗車場には、同じように洗車機を信用しないオーナーと車たちが、入れ替わり立代わり現れていた。 展示場の別の隅にはなぜか犬小屋もあって、ここの飼い犬とおぼしき1頭が、わんわんと吠え続けている。近所のマンションからは、絶えず住人たちの声が聞こえ、そんな隣近所に気を遣うように、洗車場のスピーカーが小声で音楽を流していた。
僕は蓮ぞうの右側と前後を、シャンプーを泡立ててやさしく洗い、彼女は左のドアとそのまわりを、水滴を室内に入れないように気をつけながら、濡れタオルで拭いた。ついでに洗車場の人からホイールブラシも借りて、足回りを洗い、全部済んだ後で、セーム革やタオルや僕の古いTシャツやらで、水気をぴかぴかに拭きとった。飾りについている金のピンストライプがはげちょろけなので、新車のように、とはいかないが、こうして洗いあがって見ると、なかなかいい感じである。
「塗装の割れが気になるわね」と彼女は感想を述べる。
「それはしょうがないよ」なにしろ30年も経ってるのだ。
そしてまた彼女はバケツに夏みかんを詰め、僕は洗車場の使用料金を払った。 年代物のレコードのような車の窓は、今度はすんなり閉まった。
「やっぱり、水をかけられるのがいやだったのかな」
「きっとそうよ」

そして、次回洗車場に行くときまで、右側と左側は微妙に色が違う。

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